一緒に渡るものは傘を携えている

 橋を渡るとき、何かが一緒に渡っています。怖い話ではありません。もっと、比喩的な何かです。或いは、単なる妄想です。一緒に橋を渡る人は、傘を持っています。そして、一緒に橋を渡ります。ただ、それだけです。だからなんなのだと言われると、どうしようもありません。

 自分一人だと思っていても、どうもべったりと付いていて離れないものがあり、たとえ孤独や寂しさを感じている時でも、そういうものと自分を離してものを考えるのは難しいです。繰り返しますが、別におばけや妖怪の類の話をしているわけではありません。自分の眼球の裏側というか、伸ばそうとした手に後ろから触れてくるものというか、目の前の鏡と触れあってみるというか、ちょっとずれたところに常に重なっている何かです。

 一緒に渡るものは傘を携えているけれど、何でなのかはさっぱり分からない。雨が降っているわけでも、日差しがきついわけでもありません。お気に入りの傘を持っていたいだけかもしれませんが、要は傘でなくたって別にいいのだと思います。橋を渡るときしかついてこないのかと言うと、そういうわけではなく、いつでも背中の皮一枚隔ててついてきているのですが、橋を渡るときだけほんの少しずれて分かるようになるのです。本当は橋でなくたって別にいいのでしょう。

 自分の背中を後ろから見ている感覚、ということが近いのかもしれません。今の自分と言うのは後ろの自分から見られていますが、同時に前の自分を見ています。そういう自分行列みたいなものが、地平線の先の先の先まで続いていて、ずっとバケツリレーみたいに自分を渡していく光景を想像してみて下さい。その時、渡している自分と渡されている自分って、どっちが自分なんですかね。もし、どちらの自分の手にも触れていない、宙に浮いた自分なんてものを想像してみたら、それってそもそも何なのでしょうか。僕にはさっぱり分かりません。ただ、たぶんそういうものが傘を携えて橋を渡るものなのではないだろうか、とは思います。

 何が言いたいのか自分でもよく分からなくなってきましたが、もともと分からないものを分からないのを承知で言葉にしようとしてみたら失敗した、というだけの話かもしれません。いっぱい失敗して、いつか傘の人とお話がしたいものです。