考えるな!チキンカレーを食え!

 抽象的な思考ばかりしていると、目の前にある具体的な物の姿が見えなくなってしまう。別にそれが悪いことだと言いたいわけではないのだけれど、具体的な物の姿が見えなくなってしまうと、それを考えている者の姿もどこかぼやけてくるような気がする。

 もちろん、思考されている以上は、具体的などこかの誰かが考えているには違いないのだろう。しかし、見たことも会ったこともない人が考えたことよりも、昨日吉野家で牛丼に温玉をトッピングしていた隣の人が考えたことの方が、余程はっきりしているのではないか。

 私自身は、どうにもぼんやりしている方で、この前作ったチキンカレーはおいしかったなあ、ということを考えるよりも、読んでいる文章の行間に思考を漂わせたり、今朝見た夢にどっぷり浸かっている方が好きだ。

 だからこそ、それだけではいけないのだという気もしている。月並みな言い方かもしれないけれど、抽象的な考えと言うのは、それを考えている具体的な人間の裏打ちがあってこそ、人の心を動かすものだし、具体的な人間だけでは、抽象的な他人の心を動かすことができない。カレーがおいしかったからなんやねん、という話だ。

 ともすると、「じゃあ具体的と抽象的を合体させれば最強じゃん!」と思ってしまうのだけど、それも違うのではないかと言いたいくなる。合わせるのではなくて、同時にある。具体的と抽象的が、何となく居心地が悪そうにしていながら、同じ場所に存在しているということが大事なのだと思う。いつでもお互いに文句が言えるような距離感で。

 でも、それをどうすればいいのかということはわからない。試行錯誤しながら書き続けるしかないのだろうとは思う。

 手始めに、自分自身に「考えるな!チキンカレーを食え!」と言い聞かせてみるか。