名前のないものに呼びかける

 名前がわからないものに呼びかけるにはどうすればいいのでしょうか。それが近くにいるものなら、近づいていって「こんにちは」とでもいえばいいのでしょうが、どこにいるのかがわからなければもうお手上げですね。

 そもそも、名前がわからないのにそれに呼びかけることができるのかという問題もあります。昔々のクラスメイト、顔すらぼんやりしていて、名前なんてとうの昔にどこかに置いてきてしまいました、という場合。たとえ見つけてもそれがそれだとわからない。

 最初に何かに呼びかけたいと感じたその微かな衝動も、たいていの場合は一晩寝れば忘れてしまいます。理由もないのに何かを覚えていられるほど、脳みそというのは暇ではないのかもしれません。夢だってすぐに忘れてしまいます。今朝見た夢だって、昨日の夕食のおかずとたいして変わりません。或いは、昨日のおかずくらいなら覚えていられるでしょうか。

 ただ、忘れてしまった名前と、名前を知らない名前というのは、ちがうものだとも思います。私が呼びかけたいと思うのは、まだ名前を知らない名前の方なのかもしれない。たとえば、見た夢を思い出すのではなく、夢に夢だと名前をつけたいのです。忘れられていくことに抵抗するのではなく、忘れるために呼びかけたいのです。

 手の中にあるものは、知っているものだけだから、道に落ちているスイカの皮でも見て、「ああ、君に会いたかった!」ということができれば、私としては上出来なのでしょう。