たとえ嘘でも、それが夢ならば
嘘がすべて暴き立てられ、本当しか存在しなくなった焼け野原のような世界で、一体誰が夢を見るというのだろうか。
たとえ嘘でもいいから、それが夢であるならば、それでも見ていたいという人だっているだろう。
みんな嘘が下手になってしまった。
みんな夢を見なくなってしまった。
ほどほどに嘘を吐き、ほどほどに正直で、ほどほどに生活し、ほどほどに夢を見る。
私には、生きていることが、絶対的に正しいことだという確信はないのだけれど、それでも生きている限りは、そういう嘘と本当の間をふらふらしているのが、人が生きるということなのではないだろうか。
嘘に憤る気持ちというのはあるだろう。信頼を裏切られたら傷つくだろう。大切な誰かがそのような目に遭うことは耐え難いだろう。
それでも人は嘘を吐くことができるし、だからこそ、本当のことをいう機会だってある。
たとえ嘘が許されなくても、人は許されぬまま生きていくのだから、せめてその夢が悲しいものでないように、私はいつも祈っている。