イカアイス(1)
何か違和感を感じながら教室の扉を開けると、案の定中は空っぽだった。
移動教室、ではないだろう。時刻は9時。HRはとっくに終わっているが、もしそうなら、移動中の級友とすれ違わないのはおかしい。
「もしかして、今日休みちゃうん。あほくさ。」
運命を共にするはずだった友人が、すたすたと歩いてくる。黒板の横にかかったカレンダーに目をやると、今日の日付が赤く記されていた。
「振り替え休日か。」
私は力なく呟いた。遅刻という事実が存在しなくなった安堵感は、無駄に睡眠時間を削ってしまった後悔へと変わる。もう戻らない時間へと思いを馳せるが、覆水盆に返らず、休日に惰眠を貪る安楽は、永久に失われてしまったのだ。
「そんなきな臭い顔せんとさ、休みなんやからどっか寄って帰らへん?」
「君は切り替えが早いな。どこかに寄るのは賛成するが、しばらく感傷に浸らせてくれ。」
「わかったわかった。回れ右、行くで。」
私は失意の内に学校を後にした。
ーーー
「イカアイス食べにいかへん?」
言葉の意味がわからなかったので無視することにする。ただでさえ、今日は一日のスタートに失敗したのだ。わざわざ冒険をするような日ではない。好奇心は猫を殺す。おとなしくファミレスでお茶でもして帰ろう。
「ちょお、無視せんといてや。無視はあかんよ、無視は。」
果たして、イカアイスとはなんなのだろうか。バニラアイスにイカがウェハースのように添えられているのだろうか。或いは、スルメのような味のするデザートなのだろうか。どちらにしても食べたくない。しかし、こういった食べ物の好みは、他人が否定するのもよくないものだ。私としては無視を決め込みたいのだけど、それで友人関係にひびが入ってしまうのは困る。
「イカアイスって、なに?」
ようやく私は口を開いた。
「えー、やっぱ気になる?気になっちゃう?せやんなー、イカのアイスやもんなー。」
「ん、わかった。君一人で食べて、後で感想だけ聞かせてくれ。」
「でも、もう着くで。」
今度は私の拒否権が無視された。しかし、通学路にこんなお店があっただろうか。しかも、アイスを売っているお店というのは、もっとカラフルで可愛らしくて、学生やお姉さんが思い思いに談笑しているところだろう。
目の前にあるのは、近所の常連さんだけで生計をたてている定食屋にしか見えない。表には、色のあせたソバやうどん、丼もののサンプルが置いてある。そもそも、磨り硝子越しに見える店内は暗い。どこかに『お店閉めました』の張り紙が張っていないか、思わず探した。
「ほら、入るで。」
友人はガラガラと引き戸を開けて、薄暗い店内に入っていく。私は躊躇した。しかし、好奇心は猫を殺すけれど、イカが人を殺すことはないだろう。多少自暴自棄になりながら、私は友人の後についていった。
(続く)