蝉に包まれて

 あまりにも大きい音に包まれていると、何も聞こえなくなることがあります。目に映るものが多すぎると、何も見えなくなるかどうかはわかりません。経験したことは思い出せますが、想像を思い出すことは出来ません。もう一度想像した方が、自分も面白いと思います。

 でも、よく考えてみれば、経験を思い出すというのはおかしいかもしれません。僕は記憶を媒介にして、過去のことを想像していると言うことも出来るからです。逆に、未来のことを思い出すことは出来なさそうに見えます。ただ、仮に未来が決まっていると考えれば、或いは未来を思い出すということも可能であるかもしれません。別に予知や予言の話をしているわけではありません。すでに確定した出来事を想像することと、すでに確定している出来事を思い出そうとすることに、何か共通のものを感じたのですが、今の時点ではもやっとしているので、また閃いたら書いてみます。

 話が脱線しましたが、最初に書こうとしていたのは大きな音の話です。皆さんは蝉に包まれたことがありますか?蝉まみれになったことがあるかと聞いているわけではなくて、四方八方から鳴り響く蝉の鳴き声、そのど真ん中に立ったことがありますか、と聞きたいのです。僕はあります。

 中学生の夏休み、何かの課題の調べもので、街の大きな図書館に行くところでした。図書館の正門から本館までの間に、頭上を覆うくらいの大きな木が何本も植えられていて、そこで蝉が鳴いていたのです。蝉の鳴き声が地面からするのを聞いたのは、後にも先にもあの時くらいです。恐らく、数が多すぎて地面から音が反響していたのでしょう。上下左右から鳴り響く蝉の音に包まれていると、自分がどこにいるのかよくわからなくなりました。不思議と耳を塞ぐ気にはならなかったので、突然違う場所に放りだされた感じが心地よかったのだと思います。

 気が付くと本館に着いていました。その後は何事もなく、調べものをして家に帰ったと思います。今でもたまに、浴びるように蝉の声を聞きたくなるときがありますが、結局実現は出来ていません。